Solanum tuberosum現在のジャガイモの主生産国の一つ,米国におけるジャガイモの歴史は比較的新しい.1600年代に度々移入されたにも関わらず,ある程度の規模で栽培される様になったのは 1719年にニューハンプシャー州ロンドンデリーでスコットランド-アイルランド系移民によってであり,それ以降国中に拡がって行った.しかし1850年代においてもジャガイモは家畜のえさとみなされていたようで, Frederick Butler (1766-1843) の "Farmer's Manual" p47 (1819) には「ジャガイモは豚に与えるため,豚小屋近くの畑で育てるのがよい " A potato patch, with pumpkins near your hogs pen, you will find very useful, and convenient, in bringing forward your hogs."」とされている.
米国ではアイダホ州ほどジャガイモと関わっている州は他にはない.この州においては,長老教会派の宣教師 Henry Harmon Spalding (1804-1874) が 1836 年にネイティブアメリカンのNez Perce族に,狩猟採集生活から農耕生活への切り替えを促すためにジャガイモの栽培をして見せたのが歴史の始まりとされるが,ネイティブアメリカンが近隣の伝道所の人々を虐殺したため,Spalding はこの地域を離れざるを得ず,彼の意図は頓挫した.
現在の様にアイダホ州がジャガイモ生産の一大中心地になったのは,1872年に Luther Burbank (1849 –1926) が育種した,生産性・食味・耐病性に優れたラセット-バーバンク(Russet Burbank)種が,この土地にあっていることが分かってからである.この種はフライドポテトに最適なので,育種から130年経った現在でもマクドナルドの「マックフライポテト」は主にこの種を使っているとのこと.
本日(2011年7月8日)NHKの BS プレミアムのドラマ 「ケネディ家の人々 “The Kennedys”」シリーズの第7回では,JFK (1917–1963) と愛人関係にあったマリリン・モンロー (Marilyn Monroe, 1926 – 1962) が,1962年5月19日の彼の45歳の誕生日パーティーに出席して(右下),あのセクシーな声で “Happy Birthday Mr. President” と歌う場面が再現されるだろうが,この二人もジャガイモとの縁は深い.
JFK の曽祖父 Patrick Kennedy (c.1823 – 1858) が1848年にアイルランドの Dunganstown, County Wexford にあった家族の農園を離れて単身渡米したのは,前項に述べたジャガイモ飢饉から逃れるためであった.
一方,マリリン・モンローはアイダホ・ポテトのジャガイモ袋のコスチュームをまとってポーズをとった写真(上)が,彼女のモデルそして女優としての出発点であったと言われている.
ジャガイモはまさに最もアメリカ的な作物の一つと言えよう.
マリリンがジャガイモ袋(Potato Sack Dress)をまとった他の画像と,その経緯は,このサイトで見ることができる.
http://www.vintag.es/2014/06/marilyn-monroe-and-potato-sack-dress.html
ジャガイモ(6/6) 日本への渡来,南京芋,小野蘭山,耋莛小牘,エゾイモ,明治期の本格導入,男爵・メイクイーン
ジャガイモ(4/6) Potato Famine, ジャガイモ飢饉
Test
8 年前
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