2011年7月29日金曜日

ハマナデシコ サマーラベンダー (2) 花壇地錦抄, 和漢三才図会, 絵本野山草, ツンベルク-Flora Japonica

Dianthus japonicus cv. “Summer lavender” (2)現在の標準和名はハマナデシコだが,江戸時代は花の色から一般的には「ふじ(or ふち)なでしこ(藤撫子・藤瞿麦)」と呼ばれていた.慶応大学の磯野直秀によれば,ハマナデシコの文献上の初出が確認されたのは『日葡辞書』(1603-04)との事だが,「ハマナデシコ」の名で出ているのかは確認できなかった.

伊藤伊兵衛『花壇地錦抄』(1695)の「△草花夏之部 是従下ノ初中末の三字ハ夏三月断(コトハリ)なり」の項には「瞿麦(なでしこ)のるひ」として,「ふちなでしこ (初中) 葉も花もなでしことハちかいあり藤色小りん也.」とある.

寺島良安『和漢三才図会』(1713頃)の「瞿麦」の項には「藤瞿麦」として絵と共に「藤瞿麦 茎は太くて高さは一尺余。葉は厚く、形は匙首(さじのあたま)に似ていて深青色、節を抱えて二つずつが対生する。花は数朶(ふさ)から成って小さく、形は桔梗に似て、白く紫を帯びている。萼は長くて浅青色をしている。」(現代語訳,島田勇男ら,1987年)とあり,葉が厚く,花が総状についているとの特徴が記されている(左図).

橘保国『絵本野山草』(1755)の第三巻には見事な挿絵が載せられ,「藤撫子 五六月,花有 葉、川柳のはに似て、あつく、つや有。花に、紫、白、二色有。花びら五つ、はのうへに、すゞなりにさく。又、浜なてしこといふ。」と,白い品種があることが添えられている(右図).


学名をつけたのは,リンネの弟子で 1775 - 76 年に出島の医師として日本に滞在していたカール・ツンベルク(1743 - 1828)で,彼の『Flora Japonica (日本植物誌)』(1784)に絵と共に,「日本ではナデシコ或いはセキチクと呼ばれている」「花序は総状」と記し,Dianthus japonicus と命名した(左).

学名を直訳すれば日本ナデシコ.花の優雅さでは「カワラナデシコ(やまとなでしこ)」に劣るものの,その海浜の厳しい環境に負けない生命力とスタミナ,そして多く花が輝くところは,女子サッカーチーム「ナデシコ・Japan」の名にふさわしいかも知れない.

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