2012年8月25日土曜日

クマガイソウ (1/2)  花壇地錦抄 大和本草

Cypripedium japonicum
伐採した竹林の明るい空き地 茨城県南部
世界でも稀な,葉の幅が広いラン.二枚の大きな扇形の葉の間から,下部が袋状の花を一個咲かせる.花径は10センチにもなり,葉とともに目を引く.竹林やヒノキ近くの日のよく当たる平地に根を張って群落をつくり,いっせいに咲くと見事.国内に広く分布しているため,ベコノツラ,キツネノチョウチンなどのひなびた地方名も多い.
受光量が減るなどの環境の変化に敏感で,姿を消すことも多い.『大和本草』などの古書に「枯れやすい」と書かれている.そのためか,花言葉は「気まぐれ美人」だそうだが,熊谷直実の名をもらった和名のように,むしろ男性的な印象を受ける.

現存文献での記録は比較的遅く,

伊藤伊兵衛『花壇地錦抄』(1695) 巻四・五「草花 春之部」に
布袋草 (末) 花形丸クして宛子安貝の形なり色うすむらさき葉も二まいづゝ出て花ハ一りんづゝ咲
敦盛草 (末) 花形ほてい草ニ似て異有ほろかけたるごとく紫葉も段々付ク
熊谷草 (末) あつもり草の花うす白キ物

とあるのが,確認されている初出.この記述では「布袋草(ほていそう)」が「クマガイソウ」にあたる.このことは,ツンベルクの『日本植物誌(Flora Japonica)』(1784)の「クマガイソウ」の項に,「ホテイソウ」とも呼ばれていると書かれていることからも,支持される.

貝原益軒『大和本草』 (1709)には
「熊谷 葉はフキの葉の形にして小也.エビネの葉の如く皺あり.葉に少光あり.葉の高八九寸.梢に花,一あり.花の大きさ鴨(あひる)卵を二に割りたるより猶大にして形はハマクリを二にひらきたる如し.色白し或黄なり.心はハマクリの肉の如くにして黄なり.花うるわしと見つるべし.深山にあり.或曰(く)敦盛熊谷一物なり.花の紫なるを敦盛(と)為,花淡白を熊谷と為.共に枯れやすし.」
と詳しく記している.花の大きさをアヒルの卵を基準にして述べているのが,興味深い.
同書の巻之十九諸品図上の「あつもりそう」の図は,「敦盛 倭名也,或曰(ク)鬼督郵ナリト未(レ)知(二)是否ヲ(一)-(未だ是否を知らず)」とあるが,葉の特徴から明らかにこれは「クマガイソウ」である(左上図).なお,「鬼督郵」はハグマの類の漢名とされている.
(続く)

2012年8月19日日曜日

ナンテン (4/4) 『出雲風土記』のサセノキはナンテン? 古事記,烏草樹(サシブ),佐斯夫能樹(サシブノキ),南燭,シャシャンボ,松田修『植物世相史(古代から現代まで)』

Nandina domestica
1973年12月 鎌倉大仏殿
倉敷市立自然史博物館のホームページの「出雲風土記の植物」(http://www2.city.kurashiki.okayama.jp/musnat/plant/bungakusakuhin/izumofudoki.htm)には「仁多郡」の植物として「南天燭(きしぶ) ナンテン」があると記されている.
その出典をメールで伺ったところ,ご親切に,秋本吉郎校注『出雲風土記』(1981)岩波書店 の「仁多郡,佐世の郷」の項に「郡家の正東九里二百歩。古老の伝へて云はく、頂佐能衰命、佐世の木の葉を頭刺して、踊躍らしし時に、所刺せる佐世の木の葉、地に堕ちき。故、佐世と云ふ。」とあり,訳注に、「木の名。明らかでない。旧説にサセブの略とする。サセブはサシブ(烏草樹)。石南科のヒサカキに似た木で黒紫色小球状の実がなる。」とある。しかし,松田修『植物世相史(古代から現代まで)』(1971)社会思想社の「出雲風土記の植物」に「南天燭(さしぶ)」の記述があることから,これを残して「させのき=サシブ→南天燭=ナンテン」とみて,ナンテンが『出雲風土記』に記載されたと考えていると教えていただいた.

今尾景年 1891年 多色木版
しかし,多くの書で,ナンテンは平安時代以降に中国から渡来し,現存している文書での初出は鎌倉時代初期の『明月記』であるとしていることから,調査をした.

大高利夫『動植物名よみかた辞典』(1991)日外アソシエーツ株式会社 では,烏草樹(サシブ),佐斯夫能樹(サシブノキ)はいずれも「南燭」の古名であるとしている.

木村陽二郎監修『図説 草木名彙辞典』(1991)柏書房 には,「させのき【佐世乃木】サセノキ」は南燭(しゃしゃんぼ)の古名であり,「さしぶ・しやしやんぼ」であるとし,また,「さしぶ【烏草樹】サシブ〔佐斯夫・左之夫〕」 の項では「南燭(しゃしゃんぼ)」の古名であり,別名「烏草樹(さしぶのき)・佐斯夫能樹(さしぶのき)・左之夫乃歧(さしぶのき)→しやしやんぼ」,出典は「日本書紀(下)/新撰字鏡,倭名抄,下学集」と記している.
また「しやしやんぼ【小小ん坊・南燭】シャシャンボ」の項に,古名は「烏草樹(さしぶのき)・烏草樹(さしぶ)・佐斯夫(さしぶ)・佐世乃木(させのき)・さしび・させ・させび・させ・させび・させぶ」,漢名は「南燭」とし,また出典として古事記(下),出雲風土記(大原郡)/新撰字鏡,倭名抄,多識編を挙げている.

さらに,江戸時代の百科事典,寺島良安『和漢三才図会』(1713頃)での「南天燭,南燭」の記事.前半の『本草綱目』からの引用は,「ナンテン」ではなく,むしろ「シャシャンボ」の記述のように思える(葉に光沢がある.実は熟すると紫色.食用になって味は甘酸っぱい.薬用としての効果は強壮.)これに関して『和漢三歳図会 現代語訳』 島田,竹島,樋口訳注,平凡社-東洋文庫 のこの項の「注」では,『国訳本草綱目』で牧野博士は南燭にシャクナゲ科シャシャンボをあてているが,難波恒堆氏は『花とくすり-和漢薬の話-』(八坂書房)で、「ナンテンを中国で南天燭、南天竺、あるいは南天竹などと称していたものと思われる」とし、『本草綱目』の図はシャシャンボに似ているが、ナンテン(メギ科)にも似ており、記事は明らかにナンテンを指していると思われるから、牧野富太郎博士が南燭にシャシャンボをあてているのは信じがたい、とされている。ちなみに北村四郎氏によれば『新証校定国訳本草綱目』の頭注で、『本草綱目』の南燭の記事の中には、ナンテンの説明(蘇頭の説)とシャシャンボの説明(時珍の説)とが混在していると指摘されている。

湯浅浩史『花の履歴書』(1995)講談社 の「ナンテン」の項には,「『古事記』のサシブをナンテンとする見方は、仁徳天皇の記にその下にツバキがはえるとあるので、ふつうツバキより小さいナンテンにはぴったりしない。」との見解が示されている.

『古事記 下 仁徳天皇』には,大后 石之日賣〔イハノヒメ〕命が歌った歌として,

都藝泥布夜 夜麻志呂賀波袁 迦波能煩理 和賀能煩禮婆 迦波能倍邇 淤斐陀弖流 佐斯夫袁 佐斯夫能紀 斯賀斯多邇 淤斐陀弖流 波毘呂 由都麻都婆岐 斯賀波那能 弖理伊麻斯 芝賀波能 比呂理伊麻須波 淤富岐美呂迦母

つぎねふや(山代の枕詞) 山代河を 河上(かはのぼ)り 我が上れば 河の辺に 生ひ立てる 烏草樹(さしぶ)を 烏草樹の木 其(し)が下に 生ひ立てる 葉広(はびろ) ゆつ真椿(まつばき) 其(し)が花の 照り坐(いま)し 其(し)が葉の 広り坐(いま)すは 大君(おほきみ)ろかも

と,「さしぶの木の下に葉の広い椿が花をつけて照り輝いている」と謡っている.

Curtis' Botanical Mazine (1811)
一方,倉野憲司校注『古事記』(1991)岩波書店 の該当部の「さしぶ」に対する注では,「シヤクナゲ科の常緑潅木のシャシャンボ。しかしその下に椿が生えていたとすると、木が小さ過ぎるようである。或いは同名異木か。」としている.しかし,林弥栄編『山渓カラー名鑑 日本の樹木』(1985)山と渓谷社 によれば,シャシャンボは高さ2~3㍍,まれに10㍍ほどになるもののあるとの事で,高さ約2㍍にしかならないナンテンより大きい.なお,「ナンテンの床柱」の材はそのほとんどが「ナンテンギリ=イイギリ」であるとの事で,ナンテンの大木はあったとしても非常にまれであろう.

現代の中国では「南燭」は「ナンテン」ではなく,「烏飯樹」をいい,これは学名 Vaccinium bracteatum Thunb.から「シャシャンボ」である.また,引用している.『本草圖經』では「南燭,今惟江東州郡有之。株高三、五尺,葉類苦楝而小,陵冬不雕,冬生紅子作穗。人家多種植庭除間,俗謂之南天燭,不拘時采其枝葉用。亦謂之南燭草木。其子似茱萸,九月熟,酸美可食。葉不相對,似茗而圓厚,味小酢,冬夏常青,枝莖微紫,大者亦高四、五丈而甚肥脆易摧折也。」と,「南天燭」もシャシャンボの俗名であるとしている.一方「ナンテン」は「南天燭」とは言わず,「南天竹」「(南)天竺」というのが一般的である.

須佐能衰命が髪飾りにして頭に指して躍るときに,「ナンテン」の葉や枝よりは,「シャシャンボ」の艶やかな葉のついた枝のほうが呪術的な効果が高いであろう.さらに,大和・奈良・平安時代の文献に「ナンテン」が出ないこと(初出:鎌倉時代の公家で,歌人・書家としても有名な藤原定家の日記『明月記』(治承4年(1180年)~嘉禎元年(1235年)),江戸時代でも地方名が少なく,わずかな地方名も「ナンテン」の転訛と思われること(小野蘭山『本草綱目啓蒙』ではナツテン(京)ランテン(上総)の二つ,一方アセビは二十個),現在でも人家近くにしか自生が見られない事から,「ナンテン」は中国から薬用として移入されたと考えられる.

これらの事から,『出雲風土記』の「サセノキ」は「ナンテン」ではなく,「シャシャンボ」の可能性が高いと思われ,松田修『植物世相史(古代から現代まで)』の「出雲風土記の植物」の「南天燭(さしぶ)」は「南燭(さしぶ)」の誤植ではなかろうかとさえ考えられる.
この知見は参考としてお知らせした.

ナンテン (3/4) 花壇地錦抄・増補地錦抄・本草綱目啓蒙・廻国奇観

2012年8月15日水曜日

ヨウシュヤマゴボウ (1/2) poke-weed,原産地では若葉を食用に エルヴィスも唄う

Phytolacca americnana

道ばたや林の裾など,やや日陰になる場所を好む大型の多年性帰化植物.明治初めに原産地北アメリカから鑑賞用として渡来.高さ2㍍にも達し,大きな濃緑色の葉と紅色を帯びた茎が特徴だが,この時期にはまるで梅鉢紋のように整った形をした可憐な花が房をなして咲いている.花弁はなくて,ガクが花弁のように見える.やがて,濃い紅紫色の果実が房をなして垂れ下がり,房の根本の実は熟しているのに,先端部には白い小さな花が咲いている事も多い.もっと寒くなると全草が真っ赤に紅葉し,ますます目立つ.

米国での一般名は poke-weed. "Poke" は, Native american の「血」の意味の "poka" に由来し,これは実の汁の色が鮮やかな赤紫色だから.いかにも毒々しい実や茎だが,その通り全草にトリテルペン系の有毒成分フィトラクシン類を含み,大量に食すると下痢・腹痛・吐き気がもたらされ,痙攣後,死に至ることもあるとか.

一方有毒な植物は薬用植物でもあり,アメリカ原住民や初期の入植者の間では,痔疾から頭痛まで何にでも用いた.

このような毒性にも関わらず,原産地では葉を野菜として利用していた.若葉を塩水で2回(10分と5分)ゆでこぼして,毒性成分を抜くと,ホウレンソウに似た食味のサラダ菜として利用できたらしく,米国では缶詰として市販されていた.

また,1968年には,Tony Joe White が "Poke Salad Annie" という,この野草を摘んでは夕食の足しにする貧しい南部の少女とその家族を題材にした歌を発表し,この曲は1969年のビルボード誌で一時 8 位になった.エルヴィス・プレスリーの歌うこの歌はユーチューブで聴くことができる (http://www.youtube.com/watch?v=FOzaVpgeHJg)

南部では地域興しに " Poke Sallet Festival " を開催している町があり(テネシー州ゲイズンボロ,ケンタッキー州ハーラン)," Poke Sallet Queen" のパレードや Blue Grass の演奏会,そして," Poke Sallet " やヨウシュヤマゴボウの葉を使った料理のふるまいが呼び物とされている.

一方東洋では,漢方薬になっている.大きな根を乾燥させたものを,在来種のヤマゴボウ(中国原産,茎は緑色,果序は直立,紅葉せず)の根と区別せず「商陸(ショウリク)」と呼んで,利尿剤として用いる.適応症は水腫・脚気・リュウマチ・腎臓炎などだそうだが,毒性が強いので,民間での利用は避けた方がよいとのこと.

日本に生育するヤマゴボウ属の植物は,西日本原産のマルミノヤマゴボウ,中国原産のヤマゴボウと,このヨウシュヤマゴボウの三種.花の色と花序・果序の向きで見分けがつく.

なお,観光地でよく売っている漬け物のヤマゴボウはキク科モリアザミの根.これと誤認してヨウシュヤマゴボウの根を食べ中毒する事故が絶えないそうだ.ご用心.

2012年8月8日水曜日

コガネグモ メス

Argiope amoena (♀)
フェンスとローズマリーの枝の間に巣を作り,その中央に堂々と鎮座していた.庭にすんでいるクモの中では,最大級.

ジョロウグモによく間違えられる派手な色彩を纏うが,前2対と後ろ2対の足をそれぞれそろえて真っすぐに伸ばしたX字状の待機姿勢と,網の上に糸の帯でできた白いジグザグの模様(「白帯」(はくたい))があることから見分けられる.足もジョロウグモ (http://hanamoriyashiki.blogspot.jp/2011/09/blog-post_12.html) に比べると太く,男性的.

コガネグモは,鹿児島県姶良市(あいらし)の伝統行事,「クモ合戦」に使われ,この行事は 1996 年 11 月 28 日に国により「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」(選択無形民俗文化財)のひとつ「加治木のくも合戦の習俗」として選択されている.
伝承によれば,文禄・慶長の役において,薩摩藩の島津義弘が出陣した際,兵士達を励ますために始めたものとされている.高知県四万十市にも同様の行事がある.

2012年7月11日水曜日

ナンテン (3/4) 花壇地錦抄・増補地錦抄・本草綱目啓蒙・廻国奇観

Nandina domestica
撮影 200711月 米国ワシントン D. C.

江戸時代の本草書・園芸書での記事(2

伊藤伊兵衛『花壇地錦抄』(1695     冬木之分 実秋色付て見事成る類
南天 本草綱目ニ其ノ種是木ニテ草ニ似タリ故ニ南燭草木ト号ス云云あるひハ南天燭といひ叉ハ草木ノ王などゝ異名さまざま有ていみしき物なれ共今ハ何国ニも多クして手水鉢の近所大形(かた)雪隠のあたりに植て朝夕目近物なれバくわしくいふもくどししかし唐(から)南天といひて近年珍敷(めずらしき)種ありいかんとなれバ木のしかミてちいさきによく実なりて見事也

伊藤伊兵衛『増補地錦抄』(1695巻之五
白南天 葉も木も南天とおなじ実のかたち又おなじ色白ク随分きれいに見事成物立花に立ませて珍敷

現在栽培されている赤い実をつける種としてはシナナンテン(支那南天,cv. Pavifolia )もあり,ナンテンに比して葉は小さく丸みを帯び,果実は殆ど垂れ下がらない.上品なので特に花材として人気がある.『花壇地錦抄』にある,「唐(から)南天」かもしれない.

小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1803-1806) 巻之三十二 木之三 灌木類
南燭 ナンテン ナツテン(京)ランテン(上総) 三葉(和方書) 〔一名〕闌天竹 南天竹 天竹 南天竺 大椿 黒飯樹 烏飯子 南竺枝子 烏飯葉 烏葉 烏草 天燭 南天燭 惟那木之王 南草木 南続 楊桐草
人家二多ク裁。葉ハ楝(センダン)葉二似テ、鋸歯ナク、冬ヲ経テ枯ズ。五月枝頭二長穂ヲ出シ、多ク枝ヲ分テ花ヲ開ク。五出ニシテ白色、黄蘂、後円実ヲ結ブ。熟シテ色赤シ。春二至リ猶アリ。一種白実ナル者アリ。一種淡紫実ナル老アリ。フヂナンテント云。凡ソコノ木多ク叢生ス。一叢百余株ナル者アリ。南土ニハ柱トナスべク、扁額トナスべキ者アリ。花戸二一種ヒラギナツテント呼者アリ。一名ヒイラナンテン(土州)、唐ナンテン(勢州)。此木モト加州ヨリ出。葉ニ大刻アリテ杓骨(ヒイラギ)葉ノ如シ。花ハ穂ヲナシ、黄色、形豆花ノ如シ。是別種ニシテ南燭ノ類二非ズ。漢名詳ナラズ。

ナンテンの『本草綱目啓蒙』に記載されている地方名はわずか二つで,しかもナンテンの転訛であることは,この植物が自生ではなく,比較的遅い時期に移入された事を示唆すると考えられる.

ケンペルは『廻国奇観』(1712年)に,ナンテンを漢名「南燭 Nandsjokf」,俗称を「Natten または Nandin」として紹介した.属名はこの最後の語 Nandin から来ている.1804年に中国からカーがイギリスに導入.比較的短期間のうちに英国の温室では珍しくなくなったとの事.英語名は葉の形と直線的に立つ茎から「天国の竹 heavenly bamboo」.あるいは,赤い丸い実から,「カニの目」.今では欧米でも繊細な葉と鮮やかな実が冬の彩となる植えこみとして珍重されているが,繁殖力の強さからか,米国フロリダ州では有害侵入植物に指定されている.
詳しくは「海を渡った日本の花 ナンテン」(psieboldii.blog48.fc2.com/blog-entry-12.html)御参照下さい.

ナンテン (2/4) 大和本草・和漢三才図会

ナンテン (4/4) 『出雲風土記』のサセノキはナンテン? 古事記,烏草樹(サシブ),佐斯夫能樹(サシブノキ),南燭,シャシャンボ

2012年7月7日土曜日

ナンテン (2/4) 大和本草・和漢三才図会

Nandina domestica

江戸時代の本草書・園芸書での記事(1)

貝原益軒『大和本草 (1709),巻之十一,園木に「南天燭」として「本草灌木類ニノセタリ.移シ植ルニ活キ易移シ?年花ツホミヲ盡折厺ヘシ.然ズバ木衰フ.肥壌ノ地ニ植ヘ時々糞ヲ施セハ栄ヘ美ハシク実多シ.綱目ニ載タル沉括カ筆談ノ説當レリ」とあり,移植しやすく,多肥により観賞価値がより高く成長する事を記した(左図).

寺島良安『和漢三才図会』(1713頃),灌木類「南天燭(なんてん,ナンテンチョツ)」の項に,いくつかの漢名を挙げた上(右下図),
「『本草綱目』(木部潅木類南燭〔集解〕)に次のようにいう。
南燭は木であるが草に似ている。それで草木の王と称する。人家では多く門や塀のそばの庭に植えている。この木はなかなか大きくなりにくい。はじめ生え出てから三、四年は状は(とうな)のようで、また梔子(くちなし)にもよく似ている。二、三十年で大株になる。葉は対生しない。此禦(さんばん,沈丁花の類)に似ていて光沢があり滑らかである。
味は酸っぱい。冬にもめげず凋まず,枝・茎は徴紫。大きなもので高さ四、五尺。大へんに肥えて脆く推(くだけ)折れやすい。七月に小白花を開き、実は群がって結ぶ。生(わかい)のは青く,九月に熟すると紫色になる。内に細子があって味は甘酸っぱい。小児はこれを食べる。汁を取って米を浸し、烏飯(道術家の食物という)を作って食べる。身体によい。これを青精飯という。あるいは子は丹のように赤いともいう。
枝・葉〔苦酸、渋〕 泄(げり)を止め、睡(ねむけ)を除き、筋を強くし、気力を益す。長らく服用しつづければ、長生きし餓えることはなくなる。
子〔酸甘〕 筋骨を強くし、気力を益し・精を固くし、顔色はつやつやする。」
と薬効が大であることを記し,更に,
「△思うに、南天燭〔俗に南天という〕は『画譜』には闌天竹(らんてんちく)とある。葉は大へん竹に似ていて、子がなり穂が出来る。丹砂のような紅色で、いつまでも色はあせない。これを庭に植えて火災を防ぐ。大へん効験がある。また糖蜜に入れて食用に供するともいう。
元来、山中に産するものであるから、湿を悪む性質がある。肥料には茶の煎滓(いりかす)を用いたり、米の泔水(とぎしる)を注いでもよい。子を播いてよく芽生える。子は朱赤色。皮を剥ぐと内は白く、大豆の肉のようで二片に分かれる。まだ紫色で内に細子のあるものは見たことがない。
近頃、子の白い南燭があって、珍とされている。一般に、南燭の葉を饙飯(こわめし)に敷いたり、檜の葉を饅頭に敷いたりして人に贈るが、これはいずれも無毒だからである。だいたい、この樹は大きくなりにくいとはいうが、山陽の地などには大木があり、作州や土州の山には長二丈余、太さ周一尺二、三寸のものがある。枕に作り、俗に「邯鄲の枕」という〔邯鄲の枕の事については中華の巻を見よ〕。希有の物なのでそう称するのである。遠州の一の宮(小国神社)は満山これ南天で、実の盛りのときは大へん美しい。」(現代語訳 島田・竹島・樋口,平凡社-東洋文庫)

と,多くの記事がある.前半の「実は熟すると紫色になる」の記事は『本草綱目』の引用だろうが違和感がある.後半には良安の観察も組み入れられ,シロミナンテンが現れた事や当時の使用法や伝承が記されていて興味深い.

ナンテン (1/4) 特異な花,出雲風土記・明月記

ナンテン (3/4) 花壇地錦抄・増補地錦抄・本草綱目啓蒙・廻国奇観

2012年7月5日木曜日

ナンテン (1/4) 特異な花,出雲風土記・明月記

Nandina domestica

庭に樹木が来てから,鳥の落し物由来と思われる,植えた覚えのない草木が樹下に芽生える様になった.木本で多いのはヤブコウジだが,他にもセンリョウやサンショウが大きくなってきた.このナンテンもその一つ.存在を確認してから4年ほど,今年初めて花をつけた.

その花の形状は風変わりで,乳白色の花被片は31組で交互に重なり6列,5重で30枚ほどが数えられる.開花すると芽鱗状の花被片は速やかに脱落し,残った58枚が6個の鮮やかなオレンジ色の葯を囲んで反転する.地面には落ちた花被片が白米をこぼしたように見られる.萼と花弁の区別は不明瞭で,残った大型の6枚ほどが花弁らしい.萼片を25個内外つける植物は珍しく,中井猛之博士はこの特徴からメギ科より独立させてナンテン科とした.秋には多くの赤い実をつけ,観賞価値が高いが,ヒヨドリなどがこの実をついばんで散布する.

「出雲風土記」「仁多郡」の産物として「南天燭(きしぶ)」として記載されているという説もあるが(倉敷市立自然史博物館「出雲風土記の植物」 http://www2.city.kurashiki.okayama.jp/musnat/plant/bungakusakuhin/izumofudoki.htm),しかし『出雲国風土記,全訳注 荻原千鶴』,『東洋文庫 風土記 吉野裕訳』の「仁多郡」では確認できなかった.平安時代に,薬用或いは観賞用として中国から移入された可能性が高く,現在でも自生は人里近い野山が主である.確認されている初出文献は,鎌倉時代の公家で,歌人・書家としても有名な藤原定家の日記『明月記』(治承4年(1180年)~嘉禎元年(1235年))の,寛喜二年(1230)の六月二十二日の記に「昏レニノゾミ 中宮ノ権ノ大夫 南天竺ヲ選バレ 前栽ニ之ヲ植ウ」であるとされている.

江戸時代には薬用のみならず,観賞用としても価値を認められ,シロミナンテン・チモトナンテン・イカダナンテン・ササバナンテン・タキノカワ・フジミナンテン・チジミナンテンなど多くの品種が登場した.

ナンテン (2/4) 大和本草・和漢三才図会