「古今和歌集」には大沢の池を模した庭の池のそばに植えられたキクを紀友則が詠んだ歌が
大沢の池に形に植ゑたるをよめる 「一本と思ひし花を大沢の池の底にも誰か植ゑけむ ひともととおもひしきくをおほさわのいけのそこにはたれかうゑけむ」(巻五・秋下・275番) とある.
京都市右京区嵯峨にある旧嵯峨御所 大本山 大覚寺の掲示には嵯峨菊の由来として
「嵯峨菊は旧嵯峨御所大覚寺境内の大沢池にある菊ヶ島に源を発し嵯峨帝がこの菊を親しくお挿しになった故事がある。
また、平安朝の歌人 紀友則は、「一本と思ひし菊を大沢の池の底にも誰か植ゑけん」と詠んでいる。
この嵯峨独特の野菊を、永年に亘り王朝の感覚を以って育成し、一つの型に仕立て上げた、風情のある洗練された格調高い菊が嵯峨菊である。この菊の仕立ては一鉢に三本立とし、長さは二メートルにする。これは殿上から鑑賞されるに便利なよう高く育てる為である。 花は先端に三輪、中に五輪、下に七輪で七・五・三とし、葉は下を黄色に、中程は緑、上の方は淡緑になるようにする。
花弁は平弁で五十四弁、長さは約十センチが理想の嵯峨菊の型であり、淡色の花が色とりどりに妍を競い高い香をただよわせる。」としている.
京都の大沢池にある小さな菊ガ島には,紀友則の歌の石碑が立つが,詞書からすると実際に大沢池で詠んだ歌ではなく,時代からしてサガギクを詠んだ歌ではない.
また江戸時代に育種されたなら在位809 - 823年の嵯峨帝が現在の形の花を楽しむのは不可能であろう.
花(春)の下の葉を,上段は緑(夏),中段は紅葉(秋),下段は枯れた状態(冬)にして,上から春夏秋冬に見立てての情景を楽しんだという.
花(春)の下の葉を,上段は緑(夏),中段は紅葉(秋),下段は枯れた状態(冬)にして,上から春夏秋冬に見立てての情景を楽しんだという.
ご近所から「嵯峨菊」として苗を頂いたが,あまり弁が細くないので,典型的な「サガギク」ではなさそう.しかし庭に繁茂しているスプレーギクとは違ったキャラクターが際立っている.
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