2010年11月16日火曜日

スプレーギク(1)

Chrysanthemum x morifolium cv’s Spray mum (1)1940年代にアメリカで作出された「キク」の園芸品種群.日本には1970~80年代に導入された.主茎から5~10個の側枝が伸びて多くの頭花を咲かせるのが特徴(スプレー咲き).ポンポン咲き,アネモネ咲き,スパイダー咲き,丁字咲きなどがあり,花色も豊富.

『花の西洋史』草花篇 A. M. コーツ著,白幡ら訳 八坂書房(1989)は,日本から海外,特に欧州に渡った花の歴史やその後を知るには非常に有用な書物である.そこには「きく Chrysanthemum」の項目があり興味深いが,その中の中国や日本での菊の歴史についての記述にはいくつか誤解があるのではと思われる.そこで,原文を引用したうえ,注やコメントを紺色で追記する.

クレサンテマム・シネンシス・インディクム(C. sinensis ×indicum)がいわゆるキクである.この高貴な花はその自生地,東洋では二千年にも及ぶ栽培の歴史を持つが,イギリスにおける栽培の歴史は比較的短い.
中国ではおよそ紀元前五〇〇年頃に,孔子(紀元前551年9月28日‐紀元前479年4月11日)がキクについて語っていると言われる(調べきれず.屈原 (紀元前343年1月21日? - 紀元前278年5月5日?)の『離騒 第四段 成言後悔』には「朝飮木蘭之墜露兮,夕餐秋菊之落英 (朝には木蘭の墜露を飲み、夕べには秋菊の落英を餐らう)」とあるが).
五世紀には陶淵明(365-427)という人物がいて,キクの花の栽培家として有名であった(「秋菊有佳色」(飲酒二十首 其七),有名な「採菊東籬下」(飲酒二十首 其五)など,知られているだけで菊を愛する七つの詩を残しているが栽培家とは読み取れず).彼の死後,住んでいた町はチユーシアン(潯陽柴桑(今在江西九江西南)?),すなわちキクの町と改名されたというのを読んだことがある(「小柴桑 菊城」*との混同か).  続く

おまけ(1)
「陶淵明の菊」にちなむ俳句
 草の戸や日暮れてくれし菊の酒 (芭蕉 「笈日記」)
 夏菊や陶淵明が朝機嫌 (井上井月(幕末の長岡藩士)「漂泊酒句」)
 菊の香や晋の高士は酒が好き(漱石)
 菊咲けり陶淵明の菊咲けり (山口青邨 「雪国」)

熊本大学学術リポジトリに発表された朴美子さんの『中国文学に見られる「菊」の様相 : 陶淵明を中心として』(http://hdl.handle.net/2298/2749)が興味深い

おまけ(2) 左図
Pannemaeker “LA BELGIQUE HORTICOLE - Chrysanthemum sinensis var. Japanese” 1863 (伯) 多色石版

*正式な名前は「小欖」という町 原名欖鄉,古有美稱“小柴桑”、“欖溪”等,今又有美名“菊城”   この町が“菊城”とも言われるゆえんは以下の中国語版Wikipediaに詳しい.
http://zh.wikipedia.org/zh/%E5%B0%8F%E6%A6%84%E9%95%87
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%A6%84%E8%8F%8A%E8%8A%B1%E4%BC%9A

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