2011年8月29日月曜日

アブラゼミ 大和本草,和漢三才図会,本草綱目啓蒙

Graptopsaltria nigrofuscata今年の夏はアブラゼミの発生が遅く,初期は地震や東京電力福島第一原子力発電所の放射能の影響かとも云われたが,当地では発生個数は昨年より多いように思われた.庭のサクラの木にも多くのアブラゼミが止まってうるさく鳴き,下を通るとジージーと迷惑そうに飛び出していた.オナガの親が頻繁に来るようになったら,遊歩道の木々などでは盛んに鳴いているのに,庭のサクラでは聞かれず.25日にオナガの親子が飛び去ってからは,またひとしきり鳴き声が聞かれるようになった.今は真昼と真夜中を除いて,ヒグラシとアオマツムシ,キジバトの声が交代で賑やか.このキジバトの夫婦はオナガの空いた巣を使っているのかも知れない.

庭に落ちていたアブラゼミ(雌).かなり消耗していたが,激写した後,細い枝に掴まらせていたら飛び去った.江戸の本草書では「蝉(蚱蝉)」はクマゼミで,アブラゼミはアカゼミと呼ばれていたらしい.クマゼミの抜け殻が漢方薬として使われていたからか,後期になると「蚱蝉=アブラゼミ」となっている(『本草綱目啓蒙』)が,これは著者の住んでいた地域の違いも知れない.『和漢三才図会』の「蝉には五徳がある」という説は興味深い.頭にある「綬」とは3つある単眼と触覚を見立てたものか.
貝原益軒『大和本草』 (1709)

蚱蝉(セミ)
(中略)羽スキトホラサルアリ赤セミト云.晩ニナク.コノ者其形(蚱蝉=クマゼミと)相似テ別ナリ.

寺島良安『和漢三才図会』(1713頃)(左図)

『本草綱目』(虫部、化生類・蚱蝉〔集解〕)に次のようにいう。蝉とは総称であって数種ある。みな蠐螬・腹蜟(ニシドチ)から変じて蝉となる。また(クソムシ)が転がして丸くした(糞土が)久しくして化して蝉と成るのもある。みな三十日すると死ぬ。ともに四角い首、広い額をもち、二翼で六足、脇腹で鳴く。あるいは小児がこれを飼うと数日も飲食せず、ただ風を吸い露を飲むだけである。だから溺(ユバリ)はするが、糞はしない、と。

一説によれば、蝉には五徳があるという。頭に綬(かんむりのひも)のあるのは文である。露を飲むのは清である。季節に応じていつも姿を見せるのは信である。黍(きび)をたべないのは廉(つつましい)である。巣穴をつくらずにいるのは倹である。実に卑穢(ひわい)なところにいながら高潔に趨(はし)るものである、という。(島田,竹島,樋口 現代語訳 東洋文庫446 平凡社)

小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1803-1806)

蚱蝉 アカゼミ サトゼミ クロゼミ アキゼミ ヒグラシ(中略)
蚱蝉ハ形大ニシテ翅ノ色黄赤ク、スキトホラズ。八月二至リ未ノ刻以後多ク鳴。弘景、雌 蝉トスルハ非ナリ。雌蝉ハ鳴ズ。故二唖蝉卜云。俗名ナハセミ オシゴロウ イイシゼミ 時珍、未得秋風、則瘖不能鳴、謂之唖蝉卜云ハ非ナリ。 (後略)

2011年8月25日木曜日

オナガ(2) 幼鳥,大和本草,本草綱目啓蒙

Cyanopica cyana
隣家のハクモクレンの枝にオナガの巣があって,そこでヒナが大きくなったようで,昨日2羽,今日は3羽の幼鳥がサクラの木に,葉の中に隠れる様に止まっている.親は上の電線に止まって,周りを見渡したり,ギー・ギーと鳴いたり,時々餌を与えたり.スズメが飛んできても親も子もあまり気にしていないようだ.
幼鳥は親に比べると尾羽が短く,顔も丸く,頭のてっぺんに白い筋が入っている.スタイルは寸詰まりで,丸々としている.色もややくすんでいる.

親が落ち着かずにあちらこちら飛び回るのに対して,じっと動かず,わずかに首を廻すぐらい.非力を自覚して,目立たないようにしているのか.

江戸時代にはサンコウチョウと混同されていたのか,こちらが本家なのか,三光鳥の別名があったようだ.気の強いのは昔からと見えて,『本草綱目啓蒙』には「ソノ性猛シ。烏モ侵スコト能ズ。性質は荒く,カラスもたじたじ」とある.巣の構造は,話してとしては面白いが,実際とは異なるようで,オナガもサンコウチョウも碗形の巣で産卵する.

貝原益軒 『大和本草』 巻之十五 (1709)
鳥鳳(ヲナカトリ) 本草ノ付録ニアリ本朝食鑑ニ尾長鳥アリ
三光鳥 鳥鳳ノ類也月日星卜ナクヤウニ聞ユ日光山其外深山ニアリ大サヒヱ鳥ホトアリ尾甚長シ其形ウルワシ

小野蘭山『本草綱目啓蒙』 (1803―1806) 巻之四十五
山鵲 サンジヤク(通名) 三光チヤウ(伯州) サンコチヤウ(防州) 関東ヲナガ [一名〕知来鳥(通雅)山雀(典籍便覧) 山喜鶉(広東新語)
深山高木ニ棲、人声ヲ聞トキハ鳴。ソノ声、月日星星卜云ガ如シ。故ニ三光鳥卜名ヅク。三光鳥ニハ同名多シ。野州日光山ノ三光鳥ノ形状ハ、大和本草二詳ナリ。桑鳲?(マメマハシ)ニモ此名アリ。此鳥ハ鵲ヨリ小サク、頭白ク、額ヨリ頬下喉二至リ黒毛アリ、腹白色、背淡紫色、翅浅藍色ニシテ少白斑アリ。尾ハ二羽甚ダ長クシテ五六羽短シ。皆浅藍色ナリ。長尾ハ端白シ。尾ノ裏ハ皆黒白淡青相聞ハル。觜尖リテ赤色、末徴黄、脚赤色ニシテ爪黄ナリ。目黄赤色ニシテ淡紅郭ナリ。ソノ巣ハ馬尾ヲ集メテ毯ノ如クシ、口二ツアリ。前後行ヌケニ作ル。尾長クシテ反ルコト能ザル故ナリ。ソノ性猛シ。烏モ侵スコト能ズ。

オナガ(1) 分布,常陸風土記,和漢三才図会

2011年8月22日月曜日

バジル メボウキ (2) 羅勒 江戸本草書,大和本草,和漢三才図会,本草綱目啓蒙,

Ocimum basilicum 現在イタリアンのスパイスとしての価値が高いが,日本には江戸時代に中国から渡来したといわれていて(出典不明),薬用植物としての価値が高かった.

中国での呼び名「羅勒-らろく」がそのまま使われ,香草や野菜として用いられたほか,種を目にはいった塵を採るのに使ったので「目箒(めはばき,めぼうき)」とも言われた.種子はグルコマンナンを多く含むため、水分を含むと乾燥状態の約30倍に膨張し、ゼリー状の物質で覆われる,それが塵を吸着して目を傷めずに塵が取れるという仕組み.しかし,Wikiの英語版・中国語版では「目箒」の効果については言及していない.
東南アジアやアフガニスタンでは、水に浸した種子をデザートや飲み物にするとのこと.また中国では種子を「明列子」と呼び,水を加え膨張させて摂食すると,満腹感を与え,腸の蠕動を刺激するダイエット食品として売っている.

江戸時代の文献には以下の様にある.

〇貝原益軒『大和本草』 (1709)巻之九 草之五 雑草類
羅勒(メバハキ)として「---實ヲ目ニ入レハ目ノアカヲトル他ノ物ハ少ニテモ目ニ入レハイタム是ハイタマス ---」(左図,中村学園)

〇寺島良安『和漢三才図会』(1713頃) 葷草類
羅勒(らろく) 蘭香 香菜 瞖子草(えいしそう) (右図)
『本草綱目』(菜部葷菜類羅勒[集解])に次のように言う。羅勒はあちこちにある。三月に棗(なつめ)の葉の生え出るときをまって種(う)えると生える。そうでなければ生えない。いつも魚腥水(うおのあらいしる)・米泔水(こめのしろみず)・泥溝水(みぞのどろみす)をそそいでやると、香りが出て茂る。糞水(こえ)をやるとよくない。三種あって、一種は紫蘇の葉に似ている。一種は葉大きく、二十歩内に香りが漂う。一種は生菜とすることができるものである。餞饉の年には飢えを救うのに用いるとよい。子の大きさは蚤ぐらいで、褐色で光らない。七月に子を収穫する。
羅勒子(らろくし) 乾いた子を用いて目の腎(かすみ)や塵が目に入ったのを治す。三、五顆(つぶ)を目の中にそっと入れる。しばらくすると湿り脹(ふく)れて、塵と一緒に出てくる。目はちょっとの塵が入ってもころころするのに、この子なら三、五顆入れても何のさまたげにもならないのは一つの不思議である。(現代語訳,島田勇男ら,1987年)

〇小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1803-1806) 巻之二十二
羅勒 メバゝキ 蘭香菜 蘇芳
野生ナシ。種ヲ伝へ種ユ。四月棗葉初テ出ル時、地二下シテ即生ズ。苗長ジテ一尺余二至ル。方茎、枝葉、皆両対ス。葉ハ爵状(イヌコウジュ)葉二似テ、浅緑色、香気アリ。枝梢ゴト二六七寸ノ穂ヲ出シ、葉上ゴトニ茎ヲ周リテ花ヲ生ズ。紫蘇花二似テ、白色。後萼ゴト二四子アリ。熟シテ黒色。秋深二至テ苗根共二枯。其子至テ小サク、車前(オホバコ)子ノ如シ。水ヲ見レバ即外二白脂ヲ纏フテ一分余ノ大サニナル。故ニ目中ニ入テ痛マズ、能塵ヲ粘シテ出。故ニ、メバヽキト云。

2011年8月20日土曜日

オナガ(1) 分布,常陸風土記,和漢三才図会,景年花鳥画譜

Cyanopica cyana当地に引っ越してきた頃は,周りは畑や草地でキジ,ヒバリなどを見かけ,カッコウの声が聞かれたが,宅地化が進むとともに姿を消し,カラスやオナガが跋扈している.特に近年,オナガが数羽でカラスを追い掛け回す光景をよく目にする.庭のサクラの木や電線に止まっては,朝早くから「ギャー・ギャー」とお世辞にも良い声とはいえぬ鳴き声であたりを騒がす.姿は美しいが,あの声はといわれているが,この声は警戒や縄張り宣言で,愛を語る際には別の声を出すそうだが,まだそれがという鳴き声を判別できない.遊びのつもりか,サクラの葉を葉柄のところから食いちぎり,葉を落とす困り者.

非常に興味深い分布をする留鳥で,ユーラシア大陸の東西両端の2つの離れた地域,一つは日本を含むロシア東部・中国東部など東アジア,もう一つはイベリア半島の一部に棲息する(別種 Cyanopica cooki とも考えられるがまだ一般的には受け入れられていないようだ).大陸に広く分布していた先祖が何らかの理由で中央部から絶滅し,両端に残ったと考えられる.いずれの地域においても局所的 ,飛び地状に生息域が存在する.
Wikipedia によれば,「日本では1970年代までは本州全土および九州の一部で観察されたが、1980年代以降西日本で繁殖は確認されておらず、留鳥として姿を見ることはなくなった。現在は本州の石川県以東、神奈川県以北で観察されるのみとなっている。わずか10年足らずで西日本の個体群が姿を消した原因はまったくわかっていない。ただし、九州の個体群については近年になって分布を拡大し続けているカササギとの競争に破れたという説がある。このように分布域を狭めてはいるが、東日本に残された群の個体数は減少どころか増加の傾向にある。」

奈良時代の★『常陸風土記』に「別に鳥がある。尾長と名づける。また酒鳥という。その姿は頂(うなじ)は黒く尾は長く、色は青鷺に似て雀を取る。ほぼ鶏に似ているけれども隼ではない。山野に栖み、また里にも住む。」(常陸国記云 別有鳥 名尾長 亦號酒鳥 其状 頂黒尾長 色似青鷺 取雀而略似鶏子非隼 栖山野亦住里村 ト云ヘリ)という記述があると,鎌倉時代後期,文永~弘安(1264‐88)ころの成立といわれる『塵袋』に引用されている.喧嘩っ早い性質と,配色からオナガではないかと思われる.

★『和漢三才図会』には「畿内ではかつて見たことはない」とあり,江戸時代には京阪では姿を見ることは稀だったようで,そのためか「尾の端は白く円環形」とあり,挿絵の鳥はまるで鳳凰(左図,右方).
また京都の画師★今尾景年の『景年花鳥画譜』(1891)廿九の図(左図,左方)のタイトルは「サカキ、関東ヲナガ サカキ,クワントウヲナガ」となっており,「関東」が付いているところを見ると,やはり京都では珍しかったようだ.

一年中 20 羽内外の群れで林地や住宅地に生活し,息子は生まれた群れに残り,娘はでていく.つがい相手が見つからない息子は両親の繁殖をヘルパーとして手伝う.またカッコウが托卵する相手ともなっている(「けさの鳥」朝日新聞 山岸哲).

★寺島良安『和漢三才図会』(1713頃)(上図,右方) には
練鵲(をながとり) 〔俗に尾長鳥という〕
△思うに、練鵲は鳩ぐらいの大きさで、状は山鵲に似ていて、頂は純黒で黒帽のようである。胸は柿灰色、背は青碧、尾は長くてその中でも二尾は最も長くて一尺ばかりもあり、端は白く円環形になっていて大へん美しい。嘴・脛は灰黒色で、雨が降りそうになると群れ飛ぶ。鳴き声は短く、遠くまで飛ぶことは出来ない。関東の山中に多くおり、畿内ではかつて見たことはない。俗に尾長鳥と呼んでいる。(現代語訳,島田勇男ら,1987年) とある.

背中の美しい青碧色から,英語では “Azure-winged Magpie” (羽青カサカギ),ポルトガル語,ロシア語でもそれぞれ “Pie bleue”,“Голубая сорока” (青カサカギ)と,一方中国語では体色や尾の形から “灰喜鹊,蓝鹊、灰鹊、马尾鹊、羊乌鹊、山喜鹊、蓝膀喜鹊” と呼ばれている.

オナガ(2) 幼鳥,大和本草,本草綱目啓蒙

2011年8月17日水曜日

バジル メボウキ (1) キーツ『イザベラ』

Ocimum basilicum (1)インド原産のハーブ.イタリア料理によく使われているのは Sweet basil だが,160種以上の栽培種があり風味が異なり,アフリカ,中国や東南アジアの料理にも使われてエスニックな味を出してる.バジルの名は王を意味するギリシャ語の βασιλεύς (basileus) に由来し,古代ギリシャでこの草を貴人の香水・膏薬・浴湯また薬物に用いたからとも,コンスタンティヌス1世の母フラウィア・ユリア・ヘレナが 326 年に訪れたエルサレムで,聖十字架を発見した場所に生えていたからとも言われている.
この草が取り上げられた文学作品としては,キーツ(John Keats 1795 –1821)の『イザベラ』(Isabella,Or the Pot of Basil, 1820) が有名で,この詩で彼はローマ時代のフィレンツェの名家の娘 Isabella が,金満家との結婚を望む兄達に殺された恋人,使用人の Lorenzo の首をつぼに隠し,その上にbasil を植えて,涙の水を切らさなかったことを詠った.

William H. Hunt (1827-1910)
LIV. 1-6

And so she ever fed it with thin tears,

Whence thick, and green, and beautiful it grew,
So that it smelt more balmy than its peers
Of Basil-tufts in Florence; for it drew
Nurture besides, and life, from human fears,
From the fast mouldering head there shut from view:

(かくて彼女はそれに絶えず涙を注ぎ,
バジルはやがて太く青く美しく育って,
フローレンスいちの香りを放った.
なぜならそれは,人間の恐れや
隠されて急速に朽ちゆく頭蓋から
栄養と生命とを吸っていたから.)

この話は Keats がボッカチオ (Giovanni Boccaccio, 1313 –1375) の,『十日物語』 (Decameron (1350 -1351/3) のメッシーナを舞台にした “The Tale of Lisabetta and her pot of basil (IV, 5) ” のイメージを膨らませた作品である.古くはイタリアでも basil で墓を飾っていたのかもしれないが,恐らくは Boccaccio 自身もこれを東方から借用したと見られている.

この,甘い香りのバジルと,陰惨な生首との対比は多くの芸術家の創作意欲を刺激し,Boccaccio から始まり,Keats,Wilde,Strauss,Massenet,Schmidt,Klimt らに作品を生み出させた.

2011年8月12日金曜日

番外編 イトウ 原記載図譜 「ペリー提督日本遠征記」

Hucho perryi 「ペリー提督日本遠征記」第二巻 1856 - 1858 (7) イトウ
from “Narrative of the expedition of an American squadron to the China seas and Japan”  vol. 2 (1856)  
IX-1:Salmo perri (イトウ) Hakodadi (函館) 273
IX-2:Salmo masou (サクラマス) Hakodadi (函館) 245
   鋼板手彩色.数値は記述記載ページ

日本最大の淡水魚で,釣り人たちにとって「幻の魚」「夢の釣魚」のイトウ(伊富,伊富魚,伊当,𩹷(魚偏に鬼)).その学名は将に上に示した「ペリー提督日本遠征記」第二巻( 1856 – 1858) のこの図譜に由来する(根拠:左下図).日本に黒船で来航し,「日米和親条約」の締結に成功し,下田と函館両港を開港させたペリー提督 (マシュー・カルブレイス,Matthew Calbraith Perry, 1794 – 1858) は,日本への航海において,寄航した各地の地勢・文物の詳細な記録を「航海記」に残した.鳥・魚類・植物・貝類なども採り,標本や絵で記録を残し,帰米後専門家に依頼して同定をしてもらい,「航海記」第二巻に記載した.その際一部のものは美しい絵を付した.その中には,西欧社会に初めて紹介され,学名がつけられたものも多い.イトウもその一つである.

魚類を担当した J C Brevoort (1818-1887) は当時米国で最も権威ある魚類の分類学者で,魚類の章の緒言に専門のナチュラリストが遠征に同行しなかったのを残念としながら,p255~290 に計62種の魚類についての項目を立て,その同定をそれまでの多くの文献を引きながら行い,計10枚の多色図版に計 29 種の魚類の図を掲げた.
その中に,「イトウ」があり,これが「イトウ」の原記載となって,この絵と記述が元になって,新種として認められ, J C Brevoort がつけた学名が認められた.彼はこの魚の命名について以下の様に記述している.
Salmo perri
Notes.- From Hokodadi, May and June, (33 inches)
(中略)
This Salmo herewith figured has been named after the able commander of the United States Japan Expedition, to whose efforts alone we owe the scanty yet interesting zoological collections and drawings, made under disadvantageous circumstances, while the squadron was in those distant seas. この絵のサケ(マス)は米国の日本遠征隊の有能な指揮官(ペリー提督)にちなんで名づけられた.艦隊が遠い海域に滞在中の不自由な状況で作成された,あまり数は多くないが興味深い動物学的な標本と絵は,彼の努力がなければ得られなかったからである.



その後,「イトウ」はイトウ属 (Hucho) が作られたため,現在の学名は “Hucho perryi ” であるが,Brevoort がペリーに献じた種小名はそのまま残っている.


なお私の持っているペリーの航海記に収載された魚類の図譜,鳥類の図譜,哺乳類の図譜は,私のもうひとつのブログに掲載した.






「ペリー提督日本遠征記」第二巻 1856 - 1858 (6) タヌキ
「ペリー提督日本遠征記」第二巻 1856 - 1858 (5) 日本の魚類 (3)
「ペリー提督日本遠征記」第二巻 1856 - 1858 (4) 日本の魚類 (2)
「ペリー提督日本遠征記」第二巻 1856 - 1858 (3) 日本の魚類 (1)
「ペリー提督日本遠征記」第二巻 1856 - 1858 (2) マカオの鳥類
「ペリー提督日本遠征記」第二巻 1856 - 1858 (1) 日本の鳥類

2011年8月7日日曜日

エンダイブ ユダヤ教徒 出エジプト記 苦菜,『菜譜』『大和本草』 おらんだちしや,紅毛萵苣,『和漢三才図会』 高野苣,『本草綱目啓蒙』 萵苣

Cichorium endivia 去年の春に家内がレタスと間違えて買ってきた苗のこぼれ種から生えてきた.日当たりが悪いサクラの陰に発芽した株を放置しておいたので,ひょろひょろと茎がのび,それでも花がついた.花の色は美しい青色.長く咲ければ観賞用の価値はありそうだが,一日花.苦味が強い葉はサラダにするが,あまり好みではない.

花の色は変わっているが,形から分かる様にキク科の植物.原産地はヨーロッパの地中海地域を中心に,北アフリカや西アジアと推定されている.ギリシャ時代には,本草家プリニクスや医者として名高いディオスコリデスの他,詩人のオウィディクスやホラティウスも言及しており,かなり古くから好まれて栽培され,食べられてきたと思われる.
エジプトではキリスト生誕以前から食べられていたらしく,ユダヤ教徒は「過ぎ越しの祭」に,苦難をあらわす苦菜(bitter herb)のひとつとして,チコリなどと食べる.

出エジプト記第12章8節 "And they shall eat the flesh in that night, roast with fire, and unleavened bread; with bitter herbs they shall eat it." 「 そしてその夜、その肉を火に焼いて食べ、種入れぬパンと苦菜を添えて食べなければならない。」


日本には江戸時代の,遅くとも正徳年間(1711 - 16) には日本に渡来し,一部では栽培され食用にされていたらしい.
貝原益軒の『菜譜』((1704)には「おらんだちしや,四五月青き花さく.葉に光なし.うるわしからず.朝ひらき,夕にしぼむ.冬はわらにて包むべし.葉しげりて,白く生にてもくらふ.」とある.また同人の『大和本草』 (1709) には「紅毛萵苣 オランダチサ」の項に「菊に似た碧花を開いて,朝に開いて夕方には萎れる.ムクゲの花のようだ.生で食べても良い.」とあり,葉と花の絵が『大和本草 巻之十九 諸品図』に載る(左上図 中村学園).

寺島良安『和漢三才図会』(1713頃) の「白苣(しろちさ),石苣  生菜」の項(右図)には「一種に高野苣(こうやちさ)というのがあり,近ごろままみる.
高野苣は枝椏(えだまた)ごとに小さな紫花がつく.」とあり,花色や花の着き方からエンダイブと思われる.

また,小野蘭山『本草綱目啓蒙』(全48巻.1803 - 1806) の巻之二十三,「萵苣 チサ チシャ」の項には,「萵苣 (中略) 一種ヲランダヂサ 一名,ハナヂサ キクヂサ 葉ニ花岐多シ.生食,煮食,並ニ佳ナリ.一根ニ叢生ス.冬末春初最繁クシテ千葉牡丹花ノ形ノ如シ.漸ク薹ヲ起スコト二三尺,葉互生ス.葉間ニ枝ヲ抽ルコト長シ.夏ニ入テ葉間ゴトニ花ヲ開ク.形蒲公英花ニ似テ,深藍色.朝ニ開キ午前ニ色変ジテ萎ム.蕾ハ葉ゴトニ多ケレドモ日ニ一花ノミ開ク.後実ヲ結ブ.形同蒿(シュンギク)子ノ如シ.絮(じょ)ヲナサズ.是モ亦萵苣ノ一種ナリ.(後略)」とあり,深藍色の花,花の寿命や花の着き方から,江戸時代エンダイブは「オランダヂサ,ハナヂサ,キクヂサ」と呼ばれて,食用に供されていたことが分かる.

2011年8月2日火曜日

ヒャクニチソウ ’ザハラ スターライト ローズ’

Zinnia marylandica cv. Zahara "Starlight Rose"
Z. marylandica は 1990 年代に米国の D M Spooner らによって,Z. angustifolia (メキシコヒャクニチソウ)(2n=22, female) と Z. elegans (ヒャクニチソウ)(2n=24, male) の交配種をコルヒチン処理して安定な複倍数体 (2n = 46) にして作出された不稔性の品種*で,2010 年のオールアメリカセレクションズ(全米草花新品種審査協会) では金賞を受賞した.elegans 種の多様な花色・大輪の性質と,angustifolia 種の病気に強い特徴を併せもつている.イエロー,スカーレット,ホワイト,コーラルローズの基本色に加え,ファイア,スターライトローズという鮮やかな6色がある.(左図,タキイ種苗「はなとやさい」2010.1.)
* D M Spooner, D P Stimart & T M Boyle, “Brittonia”, Vol.43, No. 1. (Jan. - Mar., 1991)

今年育ててみたのは,種の袋の花の写真に誘惑されて,白い花弁に濃い桃色のストライプが入るスターライトローズ.種を購入して5月の連休にポットに播き,2度ビニポットに植え変えしてから地植えにした.発芽率はまあまあ,はじめの成長は遅かったが,暑くなると拡がった.最初に咲いた花は殆ど白一色.確かに種の袋には「環境(日照・肥料不定、夜温の高い時など)によってコントラストが安定しない場合があります。」とあるが- -,ようやくストライプがはいり始めたこのごろでも,桃色は薄く,また白いままの個体の方が多い.
矮性でせいぜい15cm と背が低く,まあるく広がるので,花壇の縁取りにはよさそう.しかも咲き終わった花は伸びた葉の下に隠されるので,次々と新しい花が見られる.日当たりが良いほうがきれいな花が咲いている.庭で毎年コボレダネで咲いてくれる elegans 種(右図)は色々な花色の花が咲いて楽しいが,ウドンコ病に犯されてしまう.これはどうだろうか.強ければ来年はこの種の単色にしてみよう.