2010年10月2日土曜日

番外編 サフラン(1) "La Botanique de J. J. Rousseau" P J Redoute, J J Rousseau, Roussea simplex

Crocus sativus


P.J. Redouté 『J. J. ルソー氏の植物学 La Botanique de J. J. Rousseau』 (1805) 多色銅版

18世紀の思想家ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau, 1712 - 1778)は,フランス革命やそれ以降の社会思想にも多大な精神的影響を及ぼした数多くの著作で知られるが,特に後半生は植物学にも多大の興味を持ち,余暇は近隣の森林草原水辺で植物観察をし,記録をとるのを無上の喜びとした.1762年に『エミール』がその「サヴォワの助任司祭の信仰告白」がもとで宗教界の反発をうけ,パリ当局から禁書にされ逮捕状も出たため,パリを脱出しスイスに渡ってイヴェルドン,次いでモティエに逃れた.

1762年からの3年間,彼は当地の医師ディヴェルノワから植物学の体系的な指導を受け,以降この学問に熱中した.彼は,市民権を取ったヌーシャテルのサン・ピエール島で毎日のように植物を観察採集し,咲き誇る野草たちに孤独な心を慰めたのだった.

1770年にパリに帰った後は王立植物園の勉強会に参加し,リンネとの手紙のやり取りをし,『植物学に関する手紙 Lettres sur la botanique 』(1771年から1774年まで知人のドレッセール夫人に宛てて,彼女が幼い娘に身のまわりの植物を説明できるよう,植物学の基礎を教えるために送られた8通の私信),や『植物学用語辞典のための断片 Fragments pour un dictionnaire des termes d'usage en botanique 』といった学術的な著作をも執筆した.

彼の死後,これらの著作を基にした「基礎植物学に関する書簡」(Lettres élémentaires sur la Botanique,1782年ジュネーヴで初版)が出版された.その反響は極めて大きく、パリ王立植物園の A. L. ジュシューはルソーの試みを高く評価し、また、イギリスでは、ケンブリッジ大学植物学教授の T. マーティンによって続編をふくむ英訳 'Letters on the elements of Botany' が1785年ロンドンで初版が刊行され大きな成功を収めた.

上に述べたルソーの植物学の著作及び T. マーティンの英訳は "Biodiversity Heritage Library" のRousseau, Jean-Jacques のサイト(http://www.biodiversitylibrary.org/creator/15)からDLできる.

また,ルソーと植物学に関しては小林拓也教授の以下の報文が興味深い(Articles en japonais).
«Jean-Jacques Rousseau botaniste: à l'aune de ses annotations sur La Botanique de Regnault», Études de langue et littérature françaises, 90, 2007, p. 154-167.

「花の画家」「花のラファエロ」として王侯貴族から愛され,花のように華やかな人生を送った P. J. ルドゥーテの代表作『バラ図集』『ユリ図集』『多肉植物図集』は当時の植物図の最高のものといわれるが,これらに描かれた華やかな園芸花卉や珍奇な外来植物とは一線を画す,ありふれた花を描いた美しい図譜に『J. J. ルソー氏の植物学 La Botanique de J. J. Rousseau (1805)』がある.

荒俣宏氏の『花の図譜』 ルドゥテ伝 によると
表紙とムラサキツメクサ(Trifolium pratense)図,  MoBot
「ルドゥテが恩人レリティエの図書室でJ-J. ルソーの植物学の著作と出会った逸話は興味ぶかい.あるときレリティエは書棚からルソーの著作を示し,「これは,実にすばらしい書物だ.いつか君は,この本のために植物の図版を制作するべきだね.」しかしルソーと聞いたルドゥテは,「とんでもありません」と叫んだ,と評伝 “THE MAN WHO PAINTED ROSES - Pierre-Joseph Redoute” の著者アントニア・リッジ Antonia Ridge は書いている.
「ルソーといえば危険思想の持ち主で,しかも自分の子を平気で捨てる鬼のような男だというではありませんか.そんな人物に,すばらしい植物学書が書けるはずはありません」彼はそう言って,ついにルソーの本を開こうとしなかった.
しかしその後,植物図の大家となったルドゥテはふとしたきっかけでルソーの著作を読み,全編にあふれる優しさと自然への愛に接して涙を流した.鬼のような男とばかり思っていたルソーが,実はこのようにすばらしい自然史学者であったとは!
彼は若き日の短慮を後悔し,レリティエの予言通り,1805年にこの本のために65葉のスティップル・エングレーヴィング(stipple engraving ,点刻彫版法)の技法を駆使した美しい多色銅版画を挿絵とした四折大判の 『J. J. ルソー氏の植物学 La botanique de J.J. Rousseau :ornée de soixante-cinq planches, imprimées en couleurs d'après les peintures de P.J. Redouté.』 を制作出版した.」

なお,この本の全文・全画譜は ”Botanicus Digital Library” の http://www.botanicus.org/title/b12074470 で閲覧・DLできる.

この書の表紙に描かれている植物は,英国の James Edward Smith  (1759-1828) によって,J J ルソーに献名された,モーリタニア島特産のエスカロニア科(Escalloniaceae)の Roussea simplex である.

この植物はつる性の灌木で,熱帯性の美しいヤモリ(Phelsuma cepediana)によって,受粉・種子撒布されていて,爬虫類が花粉運搬者という珍しい植物として有名である.種はヤモリの腸を通過することによって,種の表面を覆っている発芽抑制物質が除去され,芽を出すことが出来る.現在では,島に持ち込まれた外来生物によって,絶滅に瀕している.

J. E. Smith はこの属と種の原記載文献(Pl. Icon. Ined. 1: t. 6. 1789)で,「息絶えるまで,植物を研究する喜びを手紙の形で記した,かの有名な J J ルソーを記念してこの名をつける.彼はリンネとも手紙で度々交流していた.云々(訳に自信なし)」と命名の理由を記した(左図 MoBot).
“In memoriam celeberrit Jean Jacques Roussau, qui epistolas amoenissimas de re botanica scripsit, & amabilem scientiam ad extremum usque halitum coluit & ornavit. Linnaeus, qui saepius cum illo per epistolas consilia communicabat, in manuscriptis planiam nomini suo consecraverat. Cum vero haec, ex Linnaei filii hallucinatione, alio nomine (Russelia) evulgata est, genus novum pulcherrimum & maxime singulare Rousseam dixi.”

また,Roussea simplex Phelsuma cepediana の美しい生態画像は Plants & Fungi At Kew (http://www.kew.org/science-conservation/plants-fungi/roussea-simplex) で見ることが出来る.

番外編 サフラン(2) リンネ・ルソー・ルドゥーテ・ラスキン・漱石 Linne, P J Redoute, J J Rousseau, J Ruskin, Soseki

0 件のコメント: