Primula vulgarisまだ風の冷たいカレジの庭.枯れた芝生の中にぽっかりと咲いたイチゲサクラソウ(撮影 1978 年 3 月,英国ケンブリッジ).英国に,春の訪れを告げる自生の花として Common primrose の名で古くから親しまれている.生活の中に取り入れられ,文学作品にも多く現れている.
詩人はこの花を‘yellow’ ,’green’,‘white’ 近代では‘golden’ などの形容詞で修飾するが,シェークスピヤが The Winter’s Tale(IV,iv,122)において,若くして亡くなる乙女の描写に‘pale(淡い色の)’を冠して以来,この形容詞で修飾するのが文学的伝統となった.
詩人はこの花を‘yellow’ ,’green’,‘white’ 近代では‘golden’ などの形容詞で修飾するが,シェークスピヤが The Winter’s Tale(IV,iv,122)において,若くして亡くなる乙女の描写に‘pale(淡い色の)’を冠して以来,この形容詞で修飾するのが文学的伝統となった.
--- Pale primrose,
That die unmarried, ere they can be hold
Bright Phoebus in his strength-a malady
Most incident to maids.
-Shakespeare:The Winter’s Tale,IV,iv,122-5.
処女のまま、日の神フィーバスの
燦然と輝くお姿も拝さずに死んでいく ― 娘たちには
よくありがちな病気ね、これは - そのかわいそうな
顔色の悪い桜草。(小田島雄志訳)
燦然と輝くお姿も拝さずに死んでいく ― 娘たちには
よくありがちな病気ね、これは - そのかわいそうな
顔色の悪い桜草。(小田島雄志訳)
若さ(youth)を象徴するこの花は,そのまま,童心や郷愁と重なり合い,デージーと共に,国を遠く離れた異境のイギリス人に,周りのどんな美しい花も忘れさせ,望郷の思いをかきたてる.
一方,サクラソウの咲く道 ‘the primrose path’ は,比喩(ゆ)的に「享楽の生活,道楽」をいい, Shakespeare の Hamlet,Ⅰ,iii,50 ではオフェーリアが,ハムレットとの交際について兄レヤーチーズがした説教に対して
"Do not, as some ungracious pastors do,
Show me the steep and thorny way to heaven,
Whiles, like a puff'd and reckless libertine,
Himself the primrose path of dalliance treads
And recks not his own rede. "
「ご自分はどうなの?」と反論している.
この the primrose path を坪内逍遙は「あだ美しい花の咲く(自墮落な)道」,野島秀勝は「(歓楽の)花咲く道」,福田恆存は「(あちこちと)花咲く小道」と訳している.
また,ヴィクトリア時代に活躍した英国史上ただ一人のユダヤ系の首相,ベンジャミン・ディズレーリ (Benjamin Disraeli, 1804 - 1881) はことのほかこの花を好み,ヴィクトリア女王はことあるごとに、自ら庭先で摘み取った Primrose をディズレーリに贈った.首相は「他の何よりも勝る贈り物」として喜々と受け取るという次第で,二人の仲は恋仲と誤解されんばかりであったという.ディズレーリの葬儀にヴィクトリア女王は Primrose の花輪を,自筆の "His favourite flowers: from Osborne: a tribute of affectionate regard from Queen Victoria." というメッセージと共に贈った.このサクラソウのエピソードから、ディズレーリの命日は “Primrose Day” と呼ばれ,また、ディズレーリの死後に結成された保守党の党員団体は “Primrose League” と称し,花をかたどったバッジをつけた.
花も葉も食べられ,サラダにするとやや苦味があるそうだ.花弁を用いて造った “primrose wine” というお酒も良く知られている.しかし乱獲がたたってか,野生の個体数は少なくなり,英国では現在は保護植物に指定されているので,ワインを造るには大量に庭で育てなければならない.
この草は民間療法にも利用され,中風・麻痺(ひ)・筋肉リュウマチのほかに,その花の薬湯をヒステリー・精神病・不眠症の薬ともした.ハムプシャーでは,この花を豚脂に混ぜて黄色に煮詰めたものを霜焼けの薬とし,リンカーンシャーではこの葉の煎じ汁を早老の人に飲ませた.
「ご自分はどうなの?」と反論している.
この the primrose path を坪内逍遙は「あだ美しい花の咲く(自墮落な)道」,野島秀勝は「(歓楽の)花咲く道」,福田恆存は「(あちこちと)花咲く小道」と訳している.
また,ヴィクトリア時代に活躍した英国史上ただ一人のユダヤ系の首相,ベンジャミン・ディズレーリ (Benjamin Disraeli, 1804 - 1881) はことのほかこの花を好み,ヴィクトリア女王はことあるごとに、自ら庭先で摘み取った Primrose をディズレーリに贈った.首相は「他の何よりも勝る贈り物」として喜々と受け取るという次第で,二人の仲は恋仲と誤解されんばかりであったという.ディズレーリの葬儀にヴィクトリア女王は Primrose の花輪を,自筆の "His favourite flowers: from Osborne: a tribute of affectionate regard from Queen Victoria." というメッセージと共に贈った.このサクラソウのエピソードから、ディズレーリの命日は “Primrose Day” と呼ばれ,また、ディズレーリの死後に結成された保守党の党員団体は “Primrose League” と称し,花をかたどったバッジをつけた.
花も葉も食べられ,サラダにするとやや苦味があるそうだ.花弁を用いて造った “primrose wine” というお酒も良く知られている.しかし乱獲がたたってか,野生の個体数は少なくなり,英国では現在は保護植物に指定されているので,ワインを造るには大量に庭で育てなければならない.
この草は民間療法にも利用され,中風・麻痺(ひ)・筋肉リュウマチのほかに,その花の薬湯をヒステリー・精神病・不眠症の薬ともした.ハムプシャーでは,この花を豚脂に混ぜて黄色に煮詰めたものを霜焼けの薬とし,リンカーンシャーではこの葉の煎じ汁を早老の人に飲ませた.