Prunus pendula cv.Pleno-rosea 出身地にゆかりがあるサクラをシンボルツリーにと思い,10年ほど前に成木で購入.植木屋さんの言うことを信じて「セイダイシダレ」だと思っていたが,ブログに登場してもらうために調べたら,一重の白い「センダイシダレザクラ」とは別物.「ヤエベニシダレ」であることが判明した.
Wikipediaによると,この樹と仙台との縁は深いものの,仙台で育種されたものではなかった.小学校のとき遠足で行った榴岡・釈迦堂でも咲いていたが,伊達藩主によって元々植えられていた枝垂桜ではなかった.しかし,平安神宮の有名なシダレザクラが,仙台出身とは.
ソメイヨシノに遅れて咲く.蕾から雌しべが覗いているのは,子供が舌を出しているようで可愛い.蕾がひらくに従い,花の色が濃紅紫色から淡紅色へと変わっていく.花簪のようにまとまった花が細い枝について,青空を背景に風に揺れるのはなかなかの風情.この根元を
ラッパスイセンで丸く囲んでいるが,同時に鑑賞できることはまずない.
おまけは Dan-san の隣人のシダレザクラ.彼は “my neighbor's weeping cherry tree blossoms - very beautiful but I seem to be very allergic to this tree however.” と言ってきたので, “You might be the first cherry blossom pollen allergy patient in Seymour” と励ました.
【花おりおり】(2005年04月07日付朝日新聞夕刊) より引用
ヤエベニシダレ (文・湯浅浩史)
一説では伊達家のサクラという。仙台や周辺に多い。京都の平安神宮の植栽も著名。エドヒガン系のシダレザクラで、花は色が濃く、八重咲き。花期は基本品種より、やや遅い。葉にも特色があり、日本のサクラでは、最も葉が細長く、先端や基部がとがる。鋸歯(きょし)も鋭い。北海道でも南部は育つ。
Wikipedia の「ヤエベニシダレ」より抜粋引用
江戸時代から栽培されている品種で、怡顔斉(松岡玄達)の「桜品」(1758年(宝暦8年))には「千弁糸桜」として描かれている。
明治時代、仙台市長であった遠藤庸治が仙台市内で植え増やし、また、その子孫樹を各地に贈って普及に努めた。このため「遠藤桜」あるいは「仙台八重枝垂」「仙台小桜」とも呼ばれる。現在でも仙台都市圏各地でよく見られ、また、東北地方以南の日本各地に名所がある。なお、遠藤が植え増やした八重紅枝垂は、京都御所から鹽竈神社(仙台市に隣接する塩竈市にある)に下賜されたものとも、京都の近衛家の庭にあったものとも言われる。
八重紅枝垂は「伊達家の桜」とも言われるが、その由来は不明。第4代仙台藩主伊達綱村が、生母の三沢初子の霊を弔うため、元禄年間に釈迦堂を現在の榴岡公園(仙台市宮城野区)の地に建て、また、京都から桜の苗1000本を取り寄せて植えており、当地は江戸時代からの枝垂桜の名所となっている。これらは仙台枝垂桜ともいわれるが、花色が白や薄紅で八重咲きでもない。この榴岡公園にも遠藤は八重紅枝垂を植えており、園内では仙台枝垂桜と混在している。八重紅枝垂が「伊達家の桜」といわれるのは、各地に普及する中で、榴岡公園の仙台枝垂桜の由緒と混同した可能性が考えられる。
遠藤は、1895年(明治28年)創建の平安神宮にも八重紅枝垂を献上しており、現在、境内の300本の桜の内、八重紅枝垂は半数の150本を数える。特に、本殿の背後にある庭園「神苑」の八重紅枝垂の並木は例年ライトアップされ、夜陰に浮かび上がる桜、そして、池に映り込む桜の美しさにより、多くの観光客を惹き付けている。また、平安神宮の八重紅枝垂は、谷崎潤一郎の「細雪」や川端康成の「古都」にも登場するほど著名で、関西地方では八重紅枝垂を「平安紅枝垂」とも呼ぶ。